5月19日ペンテコステ礼拝メッセージ

『力と愛と慎みと』

聖書 :テモテへの第二の手紙1章6-8節(新p425)

メッセンジャー:高江洲伸子師

 聖霊降臨節を迎えました。「霊」という言葉に多少なりとも感を抵抗感を抱かれる人もおられるかもしれませんが、人間がほかの動物と区別される所以は、霊の世界があるからです。(ゼカリヤ12:1、人の霊)               アフリカがまだ未開の国々であったころ、探検家が行く所行く所、それぞれの種族に神がまつられていたそうです。けれど、生まれ持って与えられている霊と、ペンテコステに降った聖霊は同じものではありません。

ペンテコステ(聖霊降臨節)に降った聖霊
 使徒パウロは、聖霊降臨日に降った聖霊が、今も力強く働いていることをを書簡の中に書き表しています。Ⅱコリント4:7では「この宝を土の器にもっている」(口語)と書いていますが、私たち人間の肉体はもろく壊れやすい素材でしかありませんが、神の聖霊を内に宿す時、「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリント4:16)と、聖霊こそが、人間にとっての真の医師であり、命であり、宝であることを証ししています。
 使徒の働き2章に世界で最初の聖霊降臨の時の様子が書かれています。それは、イエス・キリストが昇天されてから50日目に起こりました約束を信じて待ち望む人たちに、「天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、…炎のような舌が分かれて現われ、一人一人の上にとどまった。」(2、3)と書かれています。このことは突然起こったことではなく、すでに約束されていました。(使徒1:8)。この聖霊の力によってこそ、真の主の証人とされる力が与えられるというのです。

力と愛と慎みの霊                                              パウロは弟子のテモテが牧会伝道に疲れ果てていた時に、「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。(テモテへの手紙第二1:7)と、内におられる聖霊によってテモテが強められることを奨励しています。私たちが主の働き(奉仕)をなそうとする時、この聖霊の力は必須です。愛も寛容もいつしか萎えてしまい、宣教の力、奉仕の力も聖霊なくしては継続できないことをパウロは知っていたからです。しかも、この時のパウロは、ローマの獄中にいて、自分の死を目前にしていました。テモテだけでなく、怖れはだれの心にもどこからでも入ってきます。けれど、聖霊の力を知っているキリスト者は怖れの中でも聖霊の力を求めることができるので、再び立ち上がることができます。                                                        この聖霊による「力」は、努力して身に着けた力とか生まれ持った力とは違います。キリストにより、「信じる者に働く力」(エペソ1:9)です。あの力強いパウロの宣教もこの聖霊によるものでした。「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではく、御霊と御力の現れでした」(Ⅰコリント2:4)と彼は言っています。またイエス・キリストの母マリアが受胎告知を受けた時も、み使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(ルカ1:35)とマリアに告げています。また、イエス・キリストを十字架と復活へと至らせたのもこの聖霊の力によります(ローマ1:35)。聖霊は奇跡を起こすこともできる絶大な力の源です。      神が私たちに与えてくださった「愛」は、生まれながらの人間に備わっているものと同質のものではありません。それは神の恵みの賜物であり、主イエス・キリストにある者に上から与えられる、「御霊の実」(ガラテヤ5:22)としての愛です。
1954年、青函連絡船洞爺丸が台風のため転覆沈没する事故がありました。千人あまりの乗客は驚きと恐怖でパニックになり、我先に救命具を奪い合い、船内はまさに地獄絵そのものであったと言われています。この中に二人の宣教師がいました。彼らは船客にさいごまで救助の手を貸し、ついには、自分が身につけていた救命具まで他の船客に与えると、力つきて波間に消えていったということです。とっさのできごとでしたが、彼らは自分の命さえも他の人に与える愛に生きて死んでいったのでした。これは、計算し、計画を立てたから実行できるような行為ではありません。みことばと御霊によって神が信じる者に上から与えてくださる、超自然的な恵みの賜物なのです。人がその友の為に命を捨てることができるのも、聖霊が与えてくださる愛ゆえにできることなのです。    
「慎みの霊」は「ソフォロニモス」というギリシャ語が使われていますが、この言葉は「思慮分別」や「自制」とも訳されることばです。どんなに性能の良い車でもブレーキが利かない車に乗るのはとても危険です。聖霊は人を怖れから 解き放ち、力強く人を神の愛の働きに進ませもすれば、人間の肉の力を止める自制の力も備えられています。    2024年ペンテコステ、私たちは主の宣教の働きを妨げる臆する霊から解放され、「力と愛と慎みの霊」である、バランスに富んだ人生の真の宝とされる聖霊を共に求めさせていただこうではありませんか。

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