4月28日ウエルカム礼拝メッセージ

『喜びのあまり』

聖書:マタイの福音書13章44-46節(新p27)

メッセンジャー:高江洲伸子師

富める指導者 一人の指導者がキリストに尋ねた「永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか」(マルコ10:17)。
すると、キリストは、「帰って、あなたの持っている物すべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。
そのうえで、わたしに従って来なさい。」(マルコ10:21)と言われた。その言葉に彼は顔を曇らせ、悲しみながら去って行った。沢山の財産があったからである。

 畑に隠された宝のたとえ(44) イエス・キリストは、また、「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、・・・喜びのあまり、行って、持っているものすべてを売り払い、その畑を買います。」(マタイ13:44)と言った。このたとえの真意は何だろう。聖書日課「聖書と共に歩む日々」で工藤弘雄師が長谷川計太郎師のメッセージを引用されている(次の)文章が興味深い。
「・・・畑に宝を見つけた人は、今で言うならば、急いで不動産屋さんに駆け込んで、『あの畑を買いたい』と交渉します。『』イフラインもないそんな土地をどうするのですか』と、不審がられ・・・、高値をつけられても意に返さず、(宝を見つけた)『喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います』(44)。畑を手にしてしまえば宝はこちらのもの、だから喜びのあまり、すべて売り払う。それ故に、使徒パウロは、『私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。』(ピりピ3:8)と証しします。喜びのあまり、一切を売り払い、このお方をわがものとする。なんともわくわくするたとえではないでしょうか。」と記載。

 真珠のたとえ(45,46)「天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。」 良い真珠を探している商人の思いと、迷子の一匹の羊を探し出す羊飼いの思いが繋がる。それは、天の父の御思い。見つけられ、(見つけた人が)持っていた物すべてを売り払って買われた真珠は私たち。罪の中に埋もれていた者たちを父は見出し、父の全財産である御子の命と引き換えに、贖い出してくださった。この神の愛を知ったことの驚きと感動、その喜び!「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)ここに、人生の宝がある。この宝を見出した人は、「喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払」って、その畑を買っても惜しくはない。

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