4月21日礼拝メッセージ

『サウル王の失敗』

聖書:サムエル記第一13章8-15節(旧p499)

メッセンジャー:高江洲伸子師

今朝はイスラエル初代の王サウルの失敗の原因知り、神のみ旨を知りましょう。
油注がれたソウル
サウルは、サムエル記第一9章から登場するイスラエル初代の王でした。その人となりは、「彼は美しい若者で、」背も高く (一サム9:2)、謙遜(9;21)であり、幾分内向的な性格でもあった(22)。祭司サムエルから油注がれ、初代の王としての出足は決して悪くはなかったが、なぜか王として短命だった。(13:1)
サウル王の失脚
13章に入り、ペリシテ人との闘いの中で、イスラエル軍が形成不利な状況に陥った時のこと。彼は神への嘆願をする為の全焼の生贄の祭儀を、祭司サムエルの到着を待ちきれなくて、自分でしてしまう。遅れて来たサムエルはそれを見て、「あなたの王国は立たない。」と失脚を宣告する。そして、「主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」(14)と告げる。しかしその時、サウルの口から出てきたのは、自己弁護(※11-12節)だけだったのだ。彼はこのような、神への不従順を何度か繰り返し、王の座から失脚してゆく。次なる王選びにおいて、主はサムエルに、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(16:7)と告げる。
新しく開かれた信仰の耳と信仰の目で
マルコの福音書7~8章で、イエス様は聞こえない人の耳を開け、見えない人の目を見えるようにされた。私たちもまた、霊の耳が開かれていないと、霊なる神のことばを聞くことができないし、霊の目が開かれていないと、霊的に正しい方向に歩む(正しく神に従う)ことはできない。
マルコ8章では、キリストの弟子たちでさえ的の外れた議論をしている。そのような弟子たちに、「まだわからないのか、悟らないのか、あなたがたの心は鈍くなっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか…」1(17,18)と、主イエスは的外れを牽制されている。(罪の語源は的外れ)けれど主イエスは、ベツサイダで出会った目の見えない人の目に2度両手を当てられて完全な視力の回復へと導かれた(マルコ8:22-25)。私たちもまた、フィルターがかかったかのような鈍き霊の耳と霊の目を再び主に触れていただき、はっきりと主の御目的に叶った歩み方をしたいものだ。

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