「水がぶどう酒に変わるとき」
聖書:ヨハネの福音書2章1-11節(新p178)
メッセンジャー:高江洲伸子師
カナの婚宴
ガリラヤのカナは、ナザレから北十数キロのところにありました。そのカナで行われた結婚式に、イエス様の母マリアもイエス様も、弟子たちも招かれていました。母マリアはその宴の接待の責任を担っていたのでしょうか、料理を運ぶ召使いに指示を出しています。恐らく、花婿の親族で、イエス様のいとこの結婚式ではなかろうかとも言われている箇所です。
結婚式の宴会が始まり、料理がふるまわれ、宴もたけなわ、皆が少し酔いの回ってきたころにブドウ酒がなくなってしまいました。ユダヤの結婚式においてぶどう酒は、これからの結婚生活での喜びと祝福を意味していましたから、披露宴でぶどう酒が無くなるということは、祝福が失われるかのように思われ、あってはならないことだったのです。
母マリアはその心配を「ブドウ酒がありません。(なくなりました)」(3)と息子イエスに告げたのです。マリアはイエス様のお誕生の際、御使いによって受胎告知され、聖霊によって誕生した不思議な経緯を一番よく知る人でした。
けれど、イエス様はお母さんであるマリアに向かって、「女の方(婦人よ)、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」(4)と答えられたのです。「あなたはわたしと何の関係がありますか。」この言葉は、たいていは、何か願い事を頼まれた時に、それは無理だ、出来ないと言う意味を込めて返す言葉です。また、息子が自分の母親に対して「女の方」「婦人よ」というのは他人行儀のように思えます。しかし、マリアはそれに対しては、何ら言い返すこともなく、まるで全てを承知しているかのように、召使いたちを呼んで、主イエス様を指して、「あの方が言われることは、何でもしてください。」(5)と言ったのです。
それから、イエス様が「水がめを水でいっぱいにしなさい」(7)と給仕役に言うと、彼らもまたイエス様に言われた通りに「水がめを縁までいっぱいにした。」(7)のでした。
彼らが水をいっぱいにした水がめは、ユダヤ人のきよめのしきたりによって手や足を洗うためにおいてあった石の水がめでした。「二ないし三メトレテス入りのもの」(6)とは、78リットルから116リットルも入る大きなかめです。それが六つあったと言うのです。大勢のお客がこれを使っているはずなので、だいぶ水は減っていたことでしょう。けれども、召使いたちは、イエス様の言われた通りに、井戸から次々と水を汲んで来て、ふちまで一杯に水を満たしたのでした。そしてイエス様に命じられた通りに、そこから水を汲んで宴会の世話役のところに持って行ったのです。そして、彼らがもってきたものを宴会の世話役の人たちが味見をするとそれは極上のぶどう酒だったのです。世話役は驚いて花婿に言いました。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」(10)。これがイエス様が行われた最初の奇蹟でした。(11)
水がぶどう酒に変わった経緯
1. 問題をイエスに告げた。(3)
まず、問題が起こった時、母マリアはその問題をイエスに告げました。
2. 否定されても信じる人がいた。(4,5)
母マリアは息子に「その時ではない」と言われているにも関わらず、「あ
の方が言われることは、何でもしてください」と給仕をする僕たちに伝えてい
ます。イエス様はツロフェニキアでもこのような婦人と出会っています。(マルコ7:24-29 マタイ15:21~)そしてそこでも奇跡は起こりました。彼ら共通点は、否定されても信じているのです。
3. 忠実に従う人がいた。(7)
給仕役の人たちは、イエス様が「いっぱいにしなさい」と言われると、「縁までいっぱいにした」ほど、彼らは忠実にイエス様のおことばに従いました。彼らが従った結果、水はぶどう酒に変わっていました。
考察
どこで水はぶどう酒に変わったのかと考えるとき、水を汲んで運んだ給仕役の方々には驚きます。彼らがイエス様を信じてそうしたかどうかはどこにも書かれていません。彼らはこの時、ただ、給仕役という役柄において、マリアから言われた通りに、イエス様が言われることは何でもしただけだったのです。マリアの信仰と忠実な給仕役の働きの中で最初の奇跡は起こったのでした。