「愛のうちに歩みなさい」
-エペソ人への手紙(11)ー
聖書:エペソ人への手紙5章1-7節(新p390)
メッセンジャー:高江洲伸子師
―神に倣う者―
➀愛のうちに歩みなさい(1-2)
神に倣うことは、神の愛に倣うことに他なりません。使徒パウロはその崇高な愛の生き方の模範として、キリストの生き方を提示しています。「キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげもの、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました」(1)。キリストの贖罪愛で貫かれたその生涯は「神へのかんばしいかおりのささげもの」(口語)であると言うのです。「ささげもの」と言っても、クリスチャンの家庭には神棚も祭壇もありませんが、パウロはキリスト者が愛のうちを歩むことこそが神のへの芳ばしいそなえものであると言い、愛のうちに歩むことを勧めるのです。
<コルベ神父の最後>
1939年第二次世界大戦中のポーランド。コルベ神父はアウシュビッツ強制収容所に送られました。ある日、神父のいる班から脱走者が出ました。脱走者は見つからず、連帯責任として、見せしめのため収容所所長は無差別に10人を選び餓死刑に処すと宣言したのでした。選ばれた中の1人が突然妻子を思って泣き崩れたそのとき、「自分は、妻子あるこの人の身代わりになりたいのです」と進み出た人がいました。コルベ神父です。その場にいた人たちは呆然としました。所長はそれを受け入れ、神父は受刑者の列に加えられることになりました。
コルベ神父は他の9人と共に「死の地下室」と呼ばれる餓死監房に連れて行かれました。そこからは生きて出てくることはできません。パンも水もなく、飢えは渇きよりも苦しく、多くの人が狂死します。そこでは絶えず叫びやうめき声が響いていました。ところが、コルベ神父が監房に入れられると、中からロザリオの祈りや賛美歌が聞こえてくるようになったのです。彼は、苦しみの中で人々を励まし、仲間の臨終を見送り、「死の地下室」を聖堂に変えました。2週間後には、彼を含めて4人が残りましたが、死を早める注射が打たれることになりました。コルベ神父はその時自ら腕を差し出したと言われています。47才でした。
②聖徒にふさわしく歩みなさい(3-6)
以下、工藤弘雄著「高度を上げよ」から抜粋
「愛に生きる香り良き生涯こそは聖徒の生涯です。しかし、この芳しい香りとは全く正反対の悪臭を放つどす黒い肉欲の世界にまた、私たちは生きています。
その中で聖徒にふさわしく歩みなさいと使徒パウロは勧めています。世にもはなはだしい悪臭を発散する行いである、「不品行(淫らな行い)」「汚れ」「貪欲(貪り)」の三つをパウロはあげています。不品行はポルネイアでポルノの出所です。様々な汚れとは性に関する汚れです。貪欲も肉欲の無制限な欲求です。
さらに三つの悪臭を放つ言葉が続きます。卑猥な言葉(わいせつなこと)や愚かな話(おしゃべり)、下品な冗談です。いつの時代、どの社会でも性的、男女間の事柄を好んで笑いあうのは容易に見られる光景です。
このような汚れに対して、聖徒にふさわしく、それらの汚れた行為を口にさえするな、それらの汚れた言葉を絶対避けなさい。むしろ神の恵みを覚え感謝しなさいと勧めるのです。
感謝の言葉は神の恵みがあふれていればこそでしょう。主の臨在の輝きがあるところ、常に喜びと祈りと感謝は尽きないのです。感謝こそ、きよきの証しです。
さらに使徒パウロは、不品行な者、汚れたことをする者、どん慾な者、偶像礼拝者は決して神の国を継ぐことはない、神の怒りが必ず臨むことを厳かに言明するのです。むなしい欺き、罪を罪としない言葉にだまされてはいけません。
今日ほど性的な罪が戯れごととしてはびこっている時代はありません。神の怒りはすでに不従順な者の上に下っているのです。性病、中絶、家庭崩壊などの悲劇は、すべて性的な罪を戯れごととしている結末です。だから、『彼らの仲間になってはいけない』のです。」p74-76
<吉澤恵一郎KGK主事の証し>
吉澤恵一郎主事は牧師家庭に生まれ育ちました。大学卒業議後、彼は東北の一放送局に勤務致しました。職場では。公然と汚れが行為が行われていましたが、彼がそれに加わることはありませんでした。その為仲間から多くの嫌がらせを受けたそうです。けれども彼は屈しませんでした。しかし、驚くことに彼が献身して退社する時、職場の同僚たちは彼が作った「ここに愛がある」を歌って送り出してくれたというのです。私たちは神の子です。愛のうちを歩み、キリストの香りを放ちきよき生涯を神にささげる者とされたいものです。