7月9日礼拝メッセージ

「心の深みまで新たにされて」

-エペソ人への手紙(9)-

聖書:エペソ人への手紙4章17-24節(新p389)

メッセンジャー:高江洲伸子師

4章1節で「召された召しにふさわしく歩みなさい。」と勧めたパウロは、17
節で再び、「あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩
んではなりません。」とエペソの信徒に向かって、世の生き方からの聖別を強
く勧めます。それはまた、神に召された「聖徒」である、私たち一人一人のキ
リスト者への呼びかけでもあります。
12~13節では「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建
て上げるため」に、「一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身
丈にまで達する」という具体的な目標が示されましたが、17節からは、さらに
具体的に成熟した大人のクリスチャンがどのようなものであるかを示します。
古い人を脱ぎ捨て
成熟した大人のクリスチャン、それは、「人を欺く情欲によって腐敗してい
く古い人」(22)を脱ぎ捨てて、「霊と心において新しくされ続け、真理に基づ
く義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人」を着た人のことです。
18節で「古い人」とは、「神のいのちから遠く離れて」いる人のことである
と書かれていますが、パスカルは「人の心には、神以外では埋め尽くすことが
できない空洞がある」と言いました。何をしても、何を得ても、空虚。これが
神なき人生を歩む人の姿です。霊的な充足がないと、様々な事をむさぼり、よ
り強い刺激を求めても心が満たされることはありません。※「むさぼり」は無
限の欲望を意味しています。「彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにあ
る無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。」(18)とパ
ウロは言っていますが、どんなに知識は豊富でも、神、罪、救い、永遠の命に
ついては全く無知であることがあります。それだけでなく、命のない知性は罪
を正当化させることによって、心を硬化させてゆきます。
罪ほど恐ろしいものはありません。人は初め良心の痛みを伴っても、罪を犯
し続けるうちに良心は麻痺状態になって、神やきよさや善に対して全く硬化し
、逆に官能的な好色や不潔な行為には無分別となり、あらゆる快楽を恥とも思
わず、それにふけってとどまるところを知らないというのです。パウロはキリ
ストなき生き方のすさまじさをここに描写しています。この古き人を脱ぎ捨て
よ、と、語気を強めて語っています。
どこでこの古き人を脱ぎ捨てるのでしょうか。自分の苦行によってではあり
ません。古き人を自分の力で脱ぎ捨てた人は誰もいません。それは十字架にお
いてです。パウロはガラテヤ人への手紙5章24節で、「キリスト・イエスにつ
く者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」と言って
います。また、ローマ人への手紙6章6節では、「私たちの古い人がキリストと

ともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪
の奴隷でなくなるためです。」と言明しています。
では、どのように十字架において脱ぎ捨てるのでしょうか。信仰です。十字
架の上でキリストと共に古き人がつけられている、脱ぎ捨てられてしまったと
信じることです。
新しき人を着る
「一人の兄弟は。自分の内にあるこの古き人に悩まされ苦悩する中で、つい
にある朝。『お前はいつまで自分の内にある古き人を見て悩み苦しんでいるの
か、いつになったらそれがキリストと共に十字架につけられていることを信じ
るのか』との御霊の語りかけを聴き、翻然(ほんぜん)、十字架を信じ仰いだ瞬
間、胸の内の古き人が十字架につけられ脱ぎ捨てられたとの経験をしました。
彼はその時から一変したのです。これが、信仰によるキリストと共に死に葬ら
れるという磔殺信仰なのです。その結果、聖霊は王として親しく臨まれ、内住
されるのです。この聖霊のバプテスマこそが新しき人を着る一瞬です。…それ
はまさに心の深み、奥底まで新しくされる恵みです。罪と罪過の中で喘いでいた
私たちが、神のかたちにまで新創造される恵みです。」  工藤弘雄著「高度
を上げよ」p64
23節「あなたがたが霊と心において新しくされ続け」を口語訳聖書は、「心
の深みまで新たにされて、」と訳します。そうです。御子イエスの血は全ての
罪から私たちをきよめ、心の極みまでも新しくしてくださるのです。
参考図書 工藤弘雄著「高度を上げよ」他、新聖書講解シリーズ8

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