「パウロの祈り」
-エペソ人への手紙(6)-
聖書:エペソ人への手紙3章14-21節(新p387)
メッセンジャー:高江洲伸子師
パウロがこの手紙を書き始めてから2度目の祈り。1回目の1:15-19では、みこころを知るために御霊の助けを求めるようにと祈り、ここでは、御霊によって「内なる人」が強くされ、「キリストが心のうちに住んでいてくださるように」、更に、「キリストの愛を知ることが出来るように」と祈っています。
「膝をかがめて」(14) 「御父の前に祈ります」(15)
パウロは父なる神にひざをかがめて祈っていますが、ミレトでエペソの長老たちとのさいごの別れの時もひざまずいて祈ったパウロでした。(使徒20:36)
具体的な祈祷の内容(16~19)
➀「栄光の富の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。」(16)
コリント第二の手紙4:16でパウロは「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」と言っています。健康志向の現代において、私たちは食べ物に、運動にと日々健康管理に注意を払います。同様に、「内なる人」に対して注意を払っていたでしょうか。みことばに親しみ、祈りの時間を設け、主との交わりをもち、(参照Ⅰテモテ4:8)「内なる人」にもっと注意を向ける必要があります。クリスチャンの真価は内側にあります。
②「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」(17)
キリストは、心の座を主に明け渡して、キリストの内住を求める者には、その心の中に住んでくださいます。それは、丁度、江戸城が新政府に明け渡されて明治維新を迎えたように、自分自身をキリストに開け渡すとき、キリストは内に来て住み、自我の軋轢をも制御しご支配くださいます。それは、暴君による非情な支配ではなく、新たな愛による統治の始まりです。
➂「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。」(17-19)
愛と内住のキリストの関係は重要です。「愛に根ざし」(17)は樹木。「愛に基礎を置いて」(17)は建物。根と土台が愛であるとは、一切が愛であるということを表わしています。川辺貞吉は「わが動機は愛か欲か」と自らに問うことを奨め、ウエスレ―は「キリスト者の完全は愛」と言いました。特に、自我の放棄と服従は、愛が動機となっていなければなりません。そこで、パウロは「人知をはるかに越えたキリストの愛」(19)を認識することができるようにと、エペソの信徒のために執り成しの祈りをささげています。
私たちは、キリストの愛の深さと広がりを知れば知るほど、その愛に応え、み旨に沿った生き方をしてゆく者とされます。そうして、恵みに満たされたキリスト者として成長してゆきます。では、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さとはどれ程のものなのでしょうか。(参照Ⅰコリント13 ガラテヤ5:22,23)
愛の「広さ」それは包み込む豊かさと言えます。愛の広さを表す「寛容」を古いキングジェームスは「longsuffering」(辛抱強い)と訳しています。相手を包み込む時には痛みや苦しみが伴います。私たちが痛みを覚えながらも相手を包み込む時、その相手の人は生かされてゆきます。イエス様もまた忍び通されました。
「長さ」は途絶えないこと。都合の悪いときにも変わりません。
「高さ」は天の栄光にまで引き上げる愛を表しています。十字架上で「父よ、彼らを赦したまえ」と祈られた主は、「すべてのものを 与えし末、死のほかなにも、報いられで、十字架のうえに あげられつつ 敵をゆるしし この人を見よ」の賛美の如く、イエス・キリストは全てを私たちに与えてられましたが、受けられたのは十字架上での死だけでした。ここに、人知をはるかに超えたキリストの愛の高さを見ます。
頌栄(20,21)
ここでパウロは頌栄をもって神を褒めたたえています。神の永遠のご計画に沿って生まれた教会は、歴史を超えて永遠に神の栄光を褒めたたえるものとされました。アーメンは、「まさにそのとおりです」という意味です。これは、時空間を越えたすべての聖徒のアーメンでなければなりません。
参考図書 佐布正義著「エペソ書」、小島伊助全集「エペソ書」