1月22日礼拝メッセージ

「最も大切なこと」

聖書:コリント人への手紙第一15章1-8節(新p349)

メッセンジャー:高江洲伸子師

横浜栄光教会の月報「からしだね」は、本来ならば、役員会の翌週である今日がお届け日ですが、2023年1月の今月号から役員会一週間後の今日の礼拝後、有志の方々が印刷してくださることになりました。一週間待ち遠しいですが、ご容赦くださいませ。
今月の巻頭言はこのように、私たちキリスト者にとって最も大切な「福音の三要素」について記載させて頂きました。ご家族など、個人伝道にも用いて頂けるように工夫しています。今日のメッセージは、からしだね1月号とだぶるところがございます。

使徒パウロは、コリント前書13章で「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛です。」(13・口語訳)と、愛の重要性を説きましたが、15章に入ると、「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、」と書き出し、キリスト者にとって、「最も大切なこと」として、次のように言っています。「キリストは、聖書にあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと。また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、」(3,4)と。これこそが、私たちに救いをもたらせた、「救いの良き知らせ」なのです。
からしだね巻頭言ではQ&Aという導入で、少しづつ福音の神髄に近づいてゆく工夫をしました。
次の通りです。

Qなぜ、救われなければならないの? 
Aそれは、罪をもったままでは天国に入れないからだよ。         
Qどうすれば、罪から救われるのかな?
A救いに至るためには、2通りの考え方があるよ。

ここから、救いに至る2通りの考えを説明していますが、最初の説明は一般的な救いに対する考え方です。
➀業による救い(善行による救い)一般的に、多くの人は、善行奉仕やお布施等行いによって救いを得るとしています。その内容は宗教によって幾分異なります。例えばイスラム教は良い行いをすることによって救われるとしています。イスラム教徒は、1日5回の祈り、1年の内1か月は日の出前から日没まで何も食べないで善行と宗教的行いに励み、メッカ巡礼をすることによって天国へ行けると教えられています。また、ジハード(聖戦)によって殉教することで天国へ行けるとしています。(自爆テロ等)

けれど、聖書の救いは、②信仰による救い(信じるだけで救われる)です。
それは「神のめぐみ」による救いで、神様から私はあなたを救うという恵みの
手が差し伸べられたことに対して、差し出された神の恵みを信仰によって受け取るというものです。(エペソ2:8,9)。それ故、救いは、神様からのプレゼントなので、お金を払ったり、謝礼を払って得るものではありません。また、善い行いや、修行、奉仕による報酬として得るものではありませんし、それで得るこたともできません。神様は人間が何かをした事によって、自分を誇ったり、高慢になるようにはされません。信仰による救いは、神がさしだして下さったものを、無条件でただ感謝してその救いを受け取るだけなのです   
ここで、「信仰による救い」について、少し説明を加えさせていただきます。
十字架の7言の内、第6言の「完了した」は、原語で「テテレスタイ」という言葉が使われていますが、これは、借金の返済が完了した時に使われることばです。キリストは、私たちの罪の借金を返済する為に十字架についてくださり、罪の借金を支払って下さった。このことをただ信じて受け取るだけなのが聖書の言っている「信仰による救い」なのです。
 使徒パウロは、この「福音」についての「最も大切なこと」として、
1.キリストは聖書の書いてあるとおりに、私たちの罪の為に死なれたこと。2.葬られたこと。3.聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたこと。
このことを信じる時、神の救いの御業がその人に及ぶと、使徒パウロは告げています。

 1月21日(土)教団誌ベラカの聖書日課で長尾秀紀師は次のように記しています。
「いったい誰が内にある罪を治められるでしょうか。解決は、1,イエス様の十字架の贖いを信じ、血潮に拠り頼むこと。2,明確に口に出して悔い改めること。3,「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは。決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)の恵みの赦しと戒めを心頭に刻むこと。4,欲を感じただけでは罪ではなく、翌に従うと罪になる、と知ること。5,私は幸せになりたいと肝に銘じ、悪い行いを「治める」ことです。<祈り>神様、幸せになりたいです。」 ※ヨハネの福音書8章からの日課でした。

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