「すべての人を照らすまことの光」
聖書:ヨハネの福音書1章1-14節(新p175)
メッセンジャー:高江洲伸子師
段々と暗さが増してゆきます。今週の木曜日で聖書研究祈祷会が今年最終日となりますが、図らずもこの日は「冬至」。この日を機に暗闇に向かっていた世界は、光の方に向かい始めます。神様がこの世界を造られた時も、「地は茫漠として何もなく、闇が大水の上にあり、神の霊がその水の表を動いていた。」(創1:2)
と書かれていますが、その闇に向かって神が「光、あれ」(創1:3)と言われると光が差し込んで来たのです。私たちの人生にも暗闇の時があります。けれど、その暗闇の中に神様が「光、あれ」と言ってくださると、絶望のただ中にあっても希望の光が差し込んできます。人生を逆転勝利へと導く秘訣がここにあります。
2000千年前、世界で最初のクリスマスを迎えた頃の地中海沿岸の国々は、強大なローマ帝国の支配下に置かれ、特にイスラエルの国は、政情的にも最暗黒の時代を迎えていました。それだけでなく、イスラエルという名前は、「神の皇太子」という意味であるにも関わらず、神への信仰は形骸化し、真の命を失っていました。そのような時代のただ中に、御子イエス・キリストは、「すべての人を照らすそのまことの光」(9)としてこの世に来られたのです。
人生を導くまことの光
ロシヤの文豪ドストエフスキーは、「たとえ、真暗闇の中に一人ぽつんと置かれても、一条の光があれば人は生きることができる」と言いました。たった一人、孤独と闇の世界におかれたとしても、そこに一筋の光が差し込んでくるならば、その光を見て人は生きることができるというのです。けれど、世の光としてイエス・キリストが赤ちゃんの姿でこの世界に来られた時、ほとんどの人は神からの救い主として認めませんでした。ほんのわずかの人たちによって迎えられたのです。福音書を書いた使徒ヨハネは「暗闇は光を理解しなかった。」(5※共同訳)、「世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」(10)と記しています。けれども、「この方を受け入れた人々、すなわち。その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(13)と書かれているのです。2000年前、イエス・キリストを救い主として受け入れた、ほんの一握りの人たちから始まった御子の福音は、全世界に伝えられ、ヨーロッパを経由して、私たちの国にも伝えられました。日本のクリスチャンは1パーセントに満たない数ですが、「もし宗教をもつならば」というアンケートでは、日本人の約35~40パーセントの人たちが「キリスト教」と答えているというのです。
ジョン・ニュートンに及んだ恵みの光
ジョン・ニュートン(1725-1807)。彼は、奴隷売買を行う貿易船の仕事に携わっていました。22才の時イギリスに帰る船の中で、トマスアケンピスの「キリストにならいて」を読みながら、「神なんているわけがない。でも、もしこの本に書いてあることが本当だったら」と神様について考えていた丁度その頃、嵐に遭遇し乗っていた船が沈みそうになりました。彼は「神様助けて下さい」と必死で祈りながら、「もし、助かるとすれば、もはや神の奇跡以外にはありえない。しかし、自分のような罪深い人間を、神様は赦してくれるはずはない」と思うのでした。ところが、奇跡的に彼らの船は守られて、2週間の漂流の後イギリスに帰り着くことができました。その経験の中から彼は、「私には祈りを聞き届けてくださる神がおられることが分かる。今までの神様に対する不敬虔な態度を改めよう。神のめぐみに触れた今は、自分の愚かな行動を心から悔い改める。私は生まれ変わったのだ。」と証ししています。その後、30才で貿易の仕事を辞め、それまでと全く違った牧師になる道に進みます。54才で彼が作詞した曲が今世界中で歌われている、あの「アメイジング・グレイス」です。
イギリスにある墓碑には、「牧師ジョン・ニュートン。かつての不信仰者、放蕩息子、アフリカの奴隷売買の仕事についた男。しかし、我が主、救い主イエス・キリストの豊かなる恵みによって、守られ、赦され、生まれ変わった者。そして長きにわたって自分で壊そうと思ったキリスト教の信仰を、逆に宣べ伝える者として召された男」と刻まれていると言うことです。
「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た。」(9※口語) そして、このまことの光を受入れる者、即ち、イエス・キリストを信じる者には「神の子となる資格」(12※共同訳)が与えられると聖書は記しています。今もこの光は闇の中に輝いています。心の目が開かれると時、そこで見ることができるのです。