「人の思いと神の思い」
-マルコの福音書に学ぶ⑮-
聖書 :マルコの福音書10章42-45節(新p89)
メッセンジャー:高江洲伸子師
2022/9/25礼拝「人の思いと神の思い」10:28-52 マルコの福音書に学ぶ⑮
弟子たちの思いとキリストの思い(28-41)
悲しみながらキリストのもとを立ち去る青年を見て、ペテロは、「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従ってきました」(28)と言いました。そのことばにキリストは、「わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を捨てた者は、今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になります。」(29-31節)と答えられました。捨てる時は一度ですが、その後受けるものは百倍と永遠の命です。これは、考えられない祝福を受けることを表しています。けれど、全てを捨てて従ったはずのペテロが、あとになってしまう出来事がありました。十字架で躓いたのです。その時ペテロは、キリストを否定し、弟子であることを隠し、キリストから遠く離れたところに身を置きました(14:66-72)。その一方で、日頃隠れたところにいて主を愛して従っていた女性の中には、十字架の下でキリストの死を最後まで見届け、墓に葬られるところも見守り、ついには復活のキリストに最初に出会う光栄にあずかった人たちもいたのでした(15:40-16:11)。
10章後半で、キリストは再び十字架預言をしています(32-34)。けれど、その時でさえも、弟子のヤコブとヨハネは尚も、「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。」(32)と、願い出ているのです。その二人にイエス様は、「あなたがたは、自分が何を求めていのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」(38)と、尋ねるも、彼らは、何ら躊躇することなく、「できます」(39)と答えています。
今年の教会目標は、「自分を知り、神を知る」ことです。私たちもまた、自分の真の姿を知る必要がなかったでしょうか。そして、神様のみ思いと自分の思いに、どれ程の差があるかを再認識する必要はなかったでしょうか。
この二人の弟子たちの厚かましいとも、無謀とも思える申し出に、他の10人の弟子たちは憤慨していますが、憤慨する限りにおいて、彼らもまた、同様の思いがあったことが分かります。もし、イエス様がこれから飲まれようとしている杯を思えば、躊躇こそあっても不思議ではなく、事実、十字架を前にして、「弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。」(マタイ26:56)のです。
仕えられるためではなく(42-45)
そこで、イエス様は優位に立ちたいと願う弟子たちに、人が権力をもつことへの警戒(42)と、弟子が歩むべき道(43-45)について、はっきりと示されました。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために。また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです」(43-45)と。イエス様は言われただけでなく、さいごの晩餐の席上、「上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれ…弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた」(ヨハネ13:4-5)のです。けれども、弟子たちは、この直前まで、「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、」と、議論をしている有様です(ルカ22:23)。人間の奥底に潜む権勢欲は根強く私たちの行いの原動力になっていることを警戒しなければなりません。
盲人バルティマイ(46-52)
さて、イエス・キリストと弟子たち一行は目的地であるエルサレムを前に、エリコの町で、突然盲人バルティマイの叫び声を聞きます。「目が見えるようにしてください。」と迷うことなく必要を告げる初対面であるバルティマイの必要にキリストは答えられました。では、三年間キリストと寝起きを共にした弟子たちの願いはどうでしょう。彼らの願いは、誰よりも優位に立つことでしたが、この時キリストは彼らの願いを聞き入れることはできませんでした。この時の弟子たちのように、キリストのそばにいる人が必ずしも、キリストの思いと一つになり、キリストに喜ばれる思いを抱いている人であるとは言えないのです。
霊の目が塞がれていると自分の真の必要を判断することができません。世が求めさせるものと、神が与えられようとしているものを判断することができないのです。ですから、肉眼の目は見えていても、霊の目が開かれるように、バルティマイのように、「霊の目を開いてください」と祈ろうではありませんか。