9月11日礼拝メッセージ

「主の道を教えてください」

聖書: 詩篇25篇12-15節(新p956)

メッセンジャー:高江洲伸子師

私たち人間は自由意志が与えられています。ですから、それぞれの行く道は、それぞれが自分の意志で選択、決定しなければなりません。これが、人生の一大の課題です。神様は、様々な方法で私たちに主の道を教え、示してくださっていますが、失敗や挫折などの痛い経験を通されることによっても、教えられるお方です。<※ロマ書5:3-5>  
旧約聖書に出てくるイスラエルの王ダビデも、様々な苦しみや失敗を通して神様から大切なことを教えられています。 ここ詩編25篇では、「私の若いころの罪や背きを 思い起こさないでください。」(7)と祈っている姿の中に、神様の祝福の中を歩み続けたダビデ王の真の姿垣間見ることができます。

1.主を恐れる人に教えられる、選ぶべき道について
詩篇25:12には、「主を恐れる人は だれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。」と書かれています。「教える」には「学ぶ」という意味と、「提示する、方向づけをする、示す」と言った意味があります。
試験で入学が許された学生は、その学校の先生から学ぶ資格が与えられます。では、神様から直接教え導かれる人の資格は何でしょうか。それは、「主を恐れる心を持っている人」です。8節では、「罪人に道をお教えになります。」 9節は「貧しい者にご自分の道をお教えになります。」と書かれていますが、口語訳では「へりくだる者にその道を教えられる」(9)と訳されているところから、神様は、自らの罪や弱さを認め、砕かれ、へりくだった人に、本当に大切な「ご自分の道」を教えられるお方でいらっしゃることがわかります。
14節に「主は ご自分を恐れる者と親しく交わり その契約を彼らにお知らせになる」と書かれています。ここでの「親しく交わり」の「親しく」は、「ひみつ」「はかりごと」とも訳されるところから、主は、主を恐れる人と親しく交わられるというだけでなく、その人に、大切な「ひみつ」や「はかりごと」、これから神様がなそうとされているご計画なども教えられると言うのです。

創世記で、罪が蔓延してゆくソドムの有様に心を痛められた神は、遂に裁きに臨もうとされましたが、その際、神を恐れ敬うアブラハムに対しては、「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」(18:17)とまで言われています。また、イザヤ書では「あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを あなたは耳で聞く。」(30:21)とも記されています。まさに、神様は、「不思議な助言者」(イザヤ9:6)として、いつも私たちの側におられ、行く道を示し、後ろからも「これが道だ、これに歩め」と御声をかけてくださるご臨在の主です。

では、私たちが「選ぶべき道」、「選択」するべき道とはどのような道でしょうか。苦難の中にあったダビデは、苦難からの救出を祈るより先立って、「主よ あなたの道を私に知らせ あなたの進む道を私に教えてください」(25:4)と、切実に神様に向かって問いかけています。ここでの「あなたの道」は、新共同訳は「あなたに従う道」と訳されていて、ダビデが求めた道は、ダビデが繁栄する道でも、ダビデが戦いで敵に勝って勝利を得る道でもなく、「あなたに従う道」だったのです。
ダビデは、全ての真の解決は、主に従うところから始まることを知っていたのです。それが神の喜ばれる「恵みとまこと」(10)の道であり、ここに真の勝利と祝福があることを彼は確信していたのです。これはまた、今を生きる私たち神の僕が通る道でもあります。<※ヨハネの福音書14:6>

2.主を恐れる人の幸いな生涯について
13節には、「その人のたましいは 幸せの中に宿りその子孫は地を受け継ぐ。」と書かれています。カール・ブッセという詩人は、「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う。ああ我ひとととめゆきて 涙さしぐみかへりきぬ 山のあなたになお遠く 幸い住むと人の言う」という詩を書きましたが、神様は決してそのような肩透かしの方ではありません。真実に神に応答した人には、その様に答えて下さるお方です。そして、その祝福は、どこまでも尽きることがないのです。<※出エジプト記20:6>

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