8月14日礼拝メッセージ

-マルコに学ぶ⑪-  「わたしをだれと言うか」

聖書:マルコの福音書8章27-30節(新p83)

メッセンジャー:高江洲伸子師

イエス・キリストの御生涯は、いよいよ十字架へと向かいます。十字架に先立って、イエス様は、ご自身が何者であるかをハッキリと知らせる必要があったでしょう。
「カエサル」という名前は当時ユダヤを統治していたローマの皇帝「カエザル」から来ています。ヘロデ王は息子のピリポとカエザルの名前を合わせてピリポ・カイザリアと名付けました。またこの町の別名の「パニアス」は、偶像の神「パン」の聖所が古くからあったからでした。このように、この地は様々な権力が交錯していましたが、キリストは敢えてこの地での信仰告白へと導かれました。それは、様々な価値観がある中にあって、「人々はわたしをだれだと言っていますか」(27)、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(29)と、多くの選択肢がある中に置かれての、「あなたはキリストです」(29)という信仰告白に至らせようと導かれたと理解できます。<マタイ16:16「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」口語訳>

ぺテロの信仰告白(29)
そのような中で、ペテロの信仰告白は、みごとでした。人々がキリストへ抱いている社会的評価について話した後、弟子たちに向かって(そこで、)「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(29)と尋ねられたのです。するとペテロは間を置く事無く、「あなたはキリストです。」(29)と答えたのでした。

このペテロの信仰告白は、非常に大切な意味が含まれていました。何よりも、「キリスト」という呼び名に深い意味がありました。「イエス」は当時よくあった名前で、へブル語読みでは「ヨシュア」。その意味は「主は救い」です。「キリスト」は「油注がれた者」また旧約聖書では、「メシア」「救い主」を表しています。それ故「あなたはキリストです」とは、「イエスは救い主」という信仰告白となります。
この「キリスト」という名前の中にはその職務や地位が象徴されています。
<マタイ2・2>王なるキリスト。<Ⅰテモテ2・5、へブル2・17>大祭司なるキリスト。<ルカ4・24、ヨハネ1・1,14>預言者なるキリストとも、聖書の各所で表現されています。(「キリスト」を「メシア」と置き換えて読むと理解しやすいかもしれません。)
ところが、イエス・キリストは。このペテロの信仰告白に対して、「ご自分のことをだれにも言わないように、彼らを戒められた。」(30)と書かれています。なぜでしょうか。それは、この様な様々な権力や偶像の蔓延るこの場所で、十字架上での死に至る厳しい闘いの道を意味する信仰告白を公にするには時期早々だったと思われるのです。ここから、キリストはメシアとしての職務を全うするべく、十字架の道はスタート致します。(これからが本番と言うべきでしょうか。)

私たちの信仰告白
人々は、いつの時代においても、キリストについて様々なことを言います。「いい人だ」と言う人もいれば、「悪い」と言う人もあり、「聖人だ」と言う人もあれば、「宇宙人だ」と言う人までいます。けれど、キリストと出会い、救いを得た人は、そうした周りの評価でなく、自分の得た確信にたつことが大切です。
雰囲気が好きで教会に来られる人は少なくありません。けれど、いつまでもそのようなムードに任せていると、逆に、キリスト教に対する周りの空気が反動的になった場合、信仰が揺れたり崩れたりする結果を招きやすくなります。キリストに対して得た確信を放棄しないで、真実にこの信仰を一生涯にわたって貫き通し、告白し続けるという一徹さは大切です<へブル10:35>。  また、神さまと自分との関係を、人々の顔色を窺いながら判断決定しようとすると、真の信仰は芽生えません。真の信仰は、純粋に、神様がその人の内に与えておられる確信を口で言いあわわして告白するとこから出発致します<ローマ10:10>。

私たちの信仰告白は如何でしょうか。ペテロは、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(29)とのキリストの問いかけに、周りの風潮でも、雰囲気でもなく、自分に与えられた確信に立って、「あなたはキリストです」と、真っ直ぐに答えました。真実な告白を主は待っておられます。
 参考書 佐藤彰著 -マルコの福音書で学ぶ-「信仰生活入門」

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