「ユダの王アサ」
聖書: 歴代誌 第二14章1-7節(旧p775)
メッセンジャー:高江洲伸子師
「アサ王の始め」 -ユダのアサ王について-
ダビデ、ソロモン、レハベアム、アビアに次ぐユダ王国第5代目の王。アサは
父アビア王が3年間王であったことに対して、41年間の長期に及びました。
「アサは、自分の神、主の目にかなう良いことを行った」(2)。アサの治世、国は安泰であった(1)。偶像を撤廃した(3)。主を求めさせ、律法と命令を行わせた(4)。高き所と香の台を取り除き、国は平穏であった(5)。防備の町々を築いた(5)。町々を建設し、繁栄した(7)。安定した兵力があった(8)等、素晴らしい言葉が並べられています。
アサ王は戦いの日に、主を呼び求めた。クシュ(エチオピア)人ゼラフが100万の軍勢と300台の戦車で攻めてきた際、58万の兵力しかない中で、「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。」(14:11)と大胆に神に祈るアサに、「主はアサとユダの前でクシュ人を打たれた」(12)のでした。
15章の預言者アザルヤの言葉は私たちにも有効に働く信仰の法則と言えます。「あなたが主とともにいる間は、主はあなたとともにおられます。もし、あなたがこの方を求めるなら、あなたにご自分を示してくださいます。もし、あなたがこの方を捨てるなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます」(2)。この言葉に奮い立ち、忌むべき物を除き、主の宮の玄関の前にあった主の祭壇を新しくしたアサでしたが、「高き所はイスラエルから取り除かれなかった」(15:17)とも書かれています。こうした中で、「アサの治世の第35年まで、戦いは起こらなかった」(15:9)。ですが、36年目からはどうだったでしょうか。
「アサ王の終わり」 -アサの治世36年目からの出来事-
「…イスラエルの王バアシャがユダに上って来て、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにした」(1)。その時、アサ王は、「父が聖別した物と自分が聖別した物、銀、金、器を、神の宮に運び入れた」(15:18)これらの献げものを、再び取り出して、自分にとって脅威とされる「ダマスコに住んでいたアラムの王ベン・ハダドのもとに送り届け」(16:2)、「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間にも同盟を結びましょう」(16:3)と神様にではなく、アラムと同盟を結んだのでした。この同盟により、イスラエルの王バアシャは「ラマを築き直すのを中止し、その工事をやめた。」(16:5)のです。確かに同盟の効力はありましたが、この事は神の御前には祝福とはなりませんでした。
予見者ハナニはアサ王の元に訪れ、「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの支配を離れる。」(16:7/新共同訳)。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたはこのことについて愚かなことをしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。」(16:9)と、アサに厳しい宣告をしました。アサは予見者ハナニの言葉を聞こうとせず、彼を牢獄に閉じ込めてしまいました。それただけでなく、「アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。」(16:10)と歴代誌は記いていますが、主の側に立つ人たちをも攻撃したのです。
アサは亡くなる2年前に重い病気になりました。若き日、戦いの日に主を呼び求めたアサの姿をそこに見ることはできません。「その病気の中でさえ、彼は主を求めず医者を求めた」(16:12)のでした。病の日に医師の診断を受けることが不信仰なのではありません。試みの中でも神を訪ね求めることを止めてしまう悲しい結末をこの言葉は表しています。へブル人への手紙13:7では、「彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。」口語訳では「彼らの生活の最後を見て」と訳しています。また、「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(コリント人への第一の手紙10:12)と、使徒パウロもまた今主を仰いでいる私たちに警告を与えています。
さいごに、ジョン・バンヤン作「天路歴程」のさいごの箇所を朗読させていただきたいと思います。