6月19日礼拝メッセージ

「最も大いなるもの」

聖書 :コリント人への手紙第一13章1-13節 (新p346)

メッセンジャー:高江洲伸子師

■今朝の礼拝説教の中心テーマは「愛」です。
次のようなブログを見ました。書かれた方は500世帯が入っているマンションで認知症のお母さんを介護されている方の様です。(以下、転記承認済み)
“「認知所の母、呼び寄せ在宅ブログ」―日常生活でめんどうだと思うことー
我が家のマンションには宅配BOXがあり…。BOXに荷物が入った時点で室内の
インターホンが「ポーン!荷物が入りました」と鳴ります。が、配達員さんは、配達が面倒なのか(500世帯程あるので面倒なんだと思います。)不在を確認する事なくインターホンを鳴らさずにいきなり宅配BOXに入れる事が多々あります。何度か…まずはインターホンを押して不在だったら宅配BOXに入れて下さい。(対面受け取り気になりませんし)と(私にとっては当たり前?)の事をお願いしているのですが、それでも在宅時に…「ポーン!荷物が入りました」またか…となってわざわざ階下に降りて(しかもそこそこ距離があります…)宅配BOXに荷物を取りに行く事がとっても面倒です(おまけに我が家は宅配が多いんです)配達員さんお願いですから…不在確認をまずはしてから宅配BOXに荷物を入れて下さい。マンションならではの悩みでした。“
さて、この方の訴えを聞いて、どう受け取られるでしょうか。また、逆に、もし、自分が宅配員だったならばどうでしょう。

■そこで、コリント人への第一の手紙13章を通して、「愛」について考えてみたいと思います。パウロは12章で、様々な「御霊の賜物」(1)について書き、その上で、「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」(31)と勧めます。そして、「はるかにまさる道」である「愛の道」を13章で書き表すのです。
愛の重要性(1-3)
まず、パウロは、愛はどのような賜物にも勝る最も重要なものであり、愛が無ければ、どのようなものを得ていたとしても、それらは「一切は無益である」(3口語)とまで言うのです。
愛のリトマス試験紙(4-7)
続いて、愛の実態を見極めようとします。それは丁度、光をプリズムに落とせば、七色のに分けられるように、愛を分析して行きます。
(以下、指路教会 藤掛順一牧師「愛がなければ」から引用させて頂きました。)
“「愛は寛容であり」(忍耐強い)共同訳 原語的には「感情を爆発させるまでに長い時間をかける」/「愛は親切です」(情け深い)自分に対して悪を行う者に対して情け深い/「人をねたみません」愛するとは、何かをしないこと。原意は「求めない」。「人のもっているものを求めない。欲しがらない」。(求めすぎることの危険性を知る必要があります。)/「愛は自慢せず、高慢になりません」は、「ねたまない」の裏返し。自分のもっているものを誇り、自慢し、人を見下す思いは、ねたみと裏表関係にある。(劣等感と優越感のように)自慢したいと思っている人のもっているものをねたむ思いが強い。ねたみの思いが、自慢したい、誇りたいという思いから生まれる。そういう思いに捕らえられていると、自分より良いものを持っている人が皆、自慢している、誇っているように思えて、憎らしくなる。/「礼儀に反することをせず」自分勝手な思いを人に押し付けることなく、ルールや秩序を守ることは、人を愛することに繋がる。礼儀をわきまえることは、社会における言葉ともなり、周りの人を守ることにも通ずる。/「自分の利益を求めず」自分の当然の権利や自由を求めない。それに固執しない。他者の為にそれを放棄する。/「苛立たず、人がした悪を心に留めず、」は、人の悪を数え立てない、人のことを悪くとらないで、「(人の)不義を喜ばずに、真理を喜びます」。それは、人を批判し、攻撃することを喜ばない。また、人が罪を犯しているのを見て、自分がその人よりも優位に立ったように感じて喜ばない。つまり、人の不義や欠点、弱点、悪いところを見付け出して喜ばない。/4節以下をまとめると、「すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます」。の一言に集約できる。愛はどのような時にも、信じ、希望を失わず、忍耐をもって愛し続けること”とパウロは言っているのです。
 如何でしょう。私たちはどのような愛で他者と関わって来ていたでしょう。恐らく誰も自分を誇ることはできないかもしれません。しかし、感謝なことには、私たちは、今イエス・キリストの生涯を通してこの愛を見ることができます。信じて受け入れることによって、この愛に繋がることができます。それだけでなく、キリストの霊である聖霊を内に宿し、パウロの様に神の愛に生きる者とされます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次