「聖霊が臨むとき」
聖書 :ルカの福音書1章31-38節 (新p107)
メッセンジャー;高江洲伸子師
<カトリック中央審議会の聖霊降臨についての見解>
聖霊降臨とは、…キリストはともに宣教する弟子たちに聖霊の派遣について話されていました。(ヨハネ14・25-26)。そして聖書はその約束された聖霊の派遣(降臨)の出来事を記しています。(使徒言行録2・1-4)。/ 聖霊については、処女マリアがイエスをみごもったのは聖霊によってであること(ルカ1・35)、イエスが洗礼を受けた時に聖霊がくだったこと(マルコ1・10)などからもわかるように、キリストが栄光を受ける以前に、すでにこの世に働きかけていたことがわかります。その同じ聖霊が内面に働きかけ、すべての人の救いのための業を行い、教会を発展させるために、聖霊は弟子たちとともに永遠にとどまるために、弟子たちのうえに下ったのです。これを聖霊の降臨といいます。/聖霊降臨が教会活動の始まりだといわれ、特別に祝われます。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたり、この日をペンテコステ(ギリシャ語で50の意)とも言います。(HPから)
<日本イエス・キリスト教団月間誌「ベラカ」仁科早苗師執筆聖書日課から>
「神の視点からすると人類の歴史における大きな前進はペンテコステの事件かもしれない。それは、エデンで失われた人の霊と聖霊の直接的な交流が取り戻されたからだ。」とフィリップ・ヤンシーは述べています。…罪によって失われた、神と人、人と人との交流を聖霊が回復されます。ペンテコステは回復された神の民の行動が始まる日なのです。」1日(水)日課から
「ペンテコステを前にもう一度、聖霊を求める祈りを献げたいと思います。しかしその前に『御子イエスの血が全ての罪から私たちを聖めてくださる』のみことばに立ち、謙遜になり、不従順と自分中心を悔い改め、神様の真実にすがり、不義からきよめていただきましょう。」3日(金)日課から
「聖霊が『助け主』(ヨハネ14:16,26)であると呼ばれるのは、地上では戦いや苦しみが存在するからです。聖霊は慰め主、助言者とも言い換えられ、私たちといつまでも共にいてくださると約束されます。私たちは生きている限り、心を騒がせる出来事に翻弄させられます。…(聖霊の)臨在の恵みとは、例えると、どのような嵐の中であっても、親鳥の懐の中にいるひな鳥は安心に満たされているように、平安が心に満ちていく事実です。」4日(土)日課から
「まず…私個人が(真の)礼拝者として整えられ(ヨハネ4:23,24)、聖霊によって一つとされる時、リバイバルが、そして主の再臨が実現するのです。ペンテコステはその未来が確実にやってくることを私たちに確信させる出来事です。…まことの礼拝者として主の前に出て行きましょう。」5日(日)日課から
<P・ウイルクス先生の聖霊のバプテスマ「聖顔の輝き」p144小島伊助著から>
…日本人牧師が人間の堕落性に対する神の救いの備えについて語った。最深部にある欲望を御血によってきよめること。隠れた動機を御霊によってきよめること、そして、キリストを崇めること、…等々。そしてパジェットはそのメッセージとその終わりにおいての招きは自分のためであることを知った。しかし、すでに人の教師であり、すでにこの(聖霊の)恵みは持っていると公言して来た自分が、どうして(人々が見ている前で、聖霊をの恵みをまだ持っていない人のように)恵みの座に出て行くことができようか。…悪い印象を与えるに相違ない。などと心は内に言い争った。しかし、それは正に神の御霊が彼にそうするように求めておられることであった。へりくだれ、高慢を磔殺するのだ。従え!よし、その支払うべき価はどれ程であるにしても!…彼は(招きの座へと聖霊を求めて)進み出た。他の求める者達と一緒に。
<マリアへの受胎告知とイエス・キリストの誕生の次第>
イエス・キリストの人としての地上の生涯の始まりもまた、聖霊によるもので
した。天使の受胎告知を受けた時のマリアの戸惑いは如何許りだったでしょう。
「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。」(34)と尋ねるマリアに、御使
いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(35)
と答えています。
私たちの信仰生活が聖霊による時、新しい神の御業は起こります。人にはできない神の御業が始まってゆきます。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、証人となります。」(使徒1:8)。聖霊の火が燃えているところでは、自分の足で立てなかった人が踊りあがって神を賛美し始め、固く閉ざされた獄屋の戸は開かれ、人の考えが及ばない神の御業が進展してゆきます。