「老人は夢、青年は幻」
聖書:ヨエル書ヨエル書2章28-32節 (旧p1556)
メッセンジャー:高江洲伸子師
北海道大学の前身、札幌農学校の初代教頭となったウイリアム・スミス・クラーク博士は、「boys, be ambitious!」と言って、札幌を去って行きました。有名な「青年(少年)よ、大志を抱け」です。クラーク師50歳、日本は明治9年のことです。どれだけ多くの青年がこの言葉に動かされて大志を抱き、日本に新風を注ぎこんだかは、計り知れません。
アメリカのキング牧師の「私には夢がある」と言った言葉もまた有名です。
聖書には、「幻のない民は滅びる」と言う言葉があります。この言葉は、日本語訳聖書ではでてきませんが、箴言29章18節のことばをイギリスの欽定訳聖書(キング・ジェームス)が「Where there is no vision,the people perish.」と訳しているところを、さらに、日本語に訳したところからきていることばです。
使徒行伝2章で、ペンテコステで聖霊を受けた使徒ペテロは、ヨエル書を引用して、大胆にメッセージを語り始めます。「神は言われる。/終わりの日に、わたしは/すべての人にわたしの霊を注ぐ。/あなたがたの息子や娘は預言し、/青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒行伝2:17)と。
次週はペンテコステです。エルサレムの2階の部屋に集まって祈り待ち望んでいた120名ほどの人たちの上に、「天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。」(使徒2:2)「また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。」(2:3) 「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、…」(2:4)と、聖霊降臨の時の様子を聖書は鮮やかに記しています。
聖霊降臨によって、めぐみに酔いしれたかのように、賛美し、祈り、神を褒めたたえている人達を見て、まわりの人々からは、「彼らは新しいぶどう酒に酔っている」(使徒2:13)と思われてしまいましたが、ペテロは、その人達に、「これは旧約聖書から預言されてきていたことが今起こっているのです」と、ヨエル書から始まって、順々に聖霊降臨の経緯を釈明したていったのです。
そのペテロの言葉を聞いて、受け入れ、バプテスマを受けた人が3000人も起こされました(使徒2:41)、これはすばらしい神の御業ですが、今朝の総会礼拝では、議事に先立って、聖霊が注がれるとき、「息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒2:17)この言葉に特に注目したいと思います。
「預言」は言葉の通り、「言」(ことば)を「預かる」。即ち、神の言葉を預かって語るところの、聖書のメッセージを意味しています。咄嗟に教会学校教師の方々の日頃の奉仕の様子が思い起こされますが、礼拝説教は勿論のこと、まだイエス様を知らない人に何らかの方法でみ言葉を伝えようとして出かけて行ったり、手紙を書いたり、電話をしたり、携帯やPCで工夫して、み言葉を伝えることもできます。聖霊を受けた主の息子や娘は、何とかしてみ言葉を伝えようと預言をします。20代、30代、40代の息子娘もいれば、60代、70代、80代の主の息子娘もいるのが教会です。
青年は幻を見ます。Visionです。それも、聖霊によって与えられる、神からのVisionです。人の勝手な思いつきや、工夫して作り出すと言ったものではありません。「幻のない民は滅びる」とみ言葉は語っています。青年は大胆に教会の将来を神様に向かって追い求める存在としてここに置かれています。若い人たちが神に向かってビジョンを追い求めるのでなければ、教会はやがて消滅してしまいます。幻無き民は滅びるのです。
老人は夢を見ます。夢の中にでも、教会の未来像が浮かび上がってこないでしょうか。ペテロは祈りの合間でランチを待っている少しの間に夢心地になり、異邦人伝道への神様の御思いを知らされました(使徒10:9-11)。息子、娘たちとその家族、孫の将来、孫たちの集う教会の将来を夢みてください。教会の将来は、夢を追い求めて祈られるご高齢の方々にかかっています。
今日は2021年度の決算総会ですが、過去を検証しつつも、神のビジョンに向けての備えと出発に繋がる総会とされましょう。