5月1日 礼拝メッセージ

「みことばの力」 マルコの福音書に学ぶ⑥

聖書:マルコの福音書4章26-33節

メッセンジャー:高江洲伸子師


今、横浜栄光教会は、プランタからこぼれるような笑顔が、上ってくる人たちを待ち受けています。かわいい草花に迎えられるのは本当に嬉しい。よく見ると、土の中から、昨年蒔いた種も芽を出しています。春が来て、水と光と空気が適合すると、種は自ずと発芽し、やがて、花を咲かせ、また沢山の種を地に落とします。草花を通しても、私たちは神様の世界を肉眼で垣間見ることができます。
種のもつ不思議な力
イエス様はマルコ4章26節で、「神の国はこのようなものです」と、「種」を用いて、神の国について人々に語られました。
 「人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。」(27,28)
 ここでの、「ひとりでに」のギリシャ語「アウトマテー」は、「オートマチック」の語源となった言葉です。人間が操作しなくても、機械自体が自動的に必要なことをするように、この世という土壌に蒔かれた神の種もまた、時がくると、「ひとりでに」実が結ばれてゆくと言うのです。
この譬えを通して、ある人は、(口語訳で)「初めに芽」これは、「願い」が起こされること、「つぎに穂」とは「祈り」、「つぎに穂の中に豊かな実ができる」は「現実となる」ことと、みことばをご自分の人生に適応させて、結婚という実が実ったことを証しされていました。
 「夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して」育ってゆくように、霊的世界の中で起こる出来事もまた、人間の力が及ばないところで起こっています。霊の世界の事は霊なる神が全てをご支配されます。もし私たち人間が神の国に関して何かできることがあるとすれば、祈ること、従うこと、そして、神の命であるみことばの種を蒔くことと限定的ですが、そこにもまた神の御手は力強く働いています。そのように、人間の理解を超え、人間の力が及ばないところで蒔かれた種は「ひとりでに」(28)実を結ばせてゆきます。
<4章の前半では種が蒔かれる4種類の土壌がとり上げられていますが、ここでは、主に「種」について語られています。>
神の国の成長拡大
マタイ17:20で、イエス様は、「もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」と言われました。ここ、マルコの4章では、「神の国は…からし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」(30-32)と言われています。
まさに、「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(Ⅰヨハネ5・4)。1ミリにも満たないからし種ですが、地に蒔くと、俄然大きな木になり、枝を張って、鳥が巣を作れるほどにもなります。私たちが蒔くみことばの種が、どれ程おおきく増え広がり進展してゆくかは計り知れません。
私たちは「神の国」と言うと、死んでから行く天国を想像しますが、言語「バセレイア」は神の支配を意味しています。悪の力に操られる闇の世界に、光である御子が十字架の死をもって、光が導く世界に変えて下さったのです。
イエス様は、「神の国は目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです」と、言われました。御子が来られた時から、光の世界が始まりました。光に触れた人はみな光になり(※エペソ5・13-14)「闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1・5)のです。
「明かりをともして升の下に置いたりはしません。」(マタイ5・15)内に頂いた天の光は隠すことができません。その光を見て、闇の世界の人たちは、逃れるように、光の世界に近寄ってきます。そこで、からし種に鳥が巣をつくるように、人々はそこで安息や平安を見出し安らぎます。それが、神が御支配する世界です。
聞く力
 「イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された」(33)。ここでの「聞く力」は、理解力の事ではなく、9節では、「聞く耳のある人は聞きなさい」と言われているところから、「聞く気持ちのある人」のことを指していて、みことばに従おうとする姿勢でみことばを聞いている人を指していると受け止めることができます。聞く理解力はまちまちですが、主イエスは人々のみことばを聞こうとする姿勢に応じてお語りになりました。
ヤコブは、「心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの人になってはいけません。」(ヤコブ書1:21-21)と言っています。みことばの種の持つ不思議な力に与れるかどうかが、これによって決定されます。

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