4月10日 礼拝メッセージ

受難節「救いの確信」

聖書 : ルカの福音書23章39-43節 

メッセンジャー:高江洲伸子師

2022/4/10 礼拝「救いの確信」ルカ23:39-43(p171)
今日から「受難節」が「受難週」に変わります。今週の金曜日の午前9時から午後3時までイエス・キリストは十字架に掛かられて、息を引き取られました。あたりは暗くなり、地震があり、聖所と至聖所の隔ての幕が真っ二つに引き裂かれたことを聖書は記しています。
イエス様は、木曜日の夜ゲッセマネの園で祈りの時を持ち、後捕縛。翌朝早朝開かれたピラトの裁判で十字架刑が決定しました。鞭うたれ(40回以下)、十字架を負ってエルサレムのビアドロローサと呼ばれている道を歩き、ゴルゴダの丘で2人の犯罪人と共に十字架に掛けられました。
ロバに乗ってエルサレムに入場されたのが日曜日の今日になります。その時、人々は棕櫚の葉を手にして「ホサナ」「我らの主よ救いたまえ」と賛美しつつイエス様を喜び迎えましたが、その群衆の声は、やがてののしり声に変わり、「通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。」(マタイ27:39)、「祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。」(マタイ27:41)のです。また、「イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」(マタイ27:44)のでした。
ところが、十字架につけられていた犯罪人の一人の言葉が変わりました。「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」(39)とののしる同じ犯罪人の言葉に対して、「おまえは神を恐れないのか。…おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」(41)とイエス様を弁護し、たしなめたのです。彼に何が起こったのでしょうか。

■イエス・キリストを救い主と信じて救われる5ステップ
1.めぐみにより、神を恐れる心が生まれる。
キリストの側にいたというだけで、一人の犯罪人の中に神を恐れる思いが出てきました。ただ黙って十字架の上で祈られるイエス・キリストの御姿に、自分の生き様とのあまりの違いに気が付いてきたことでしょう。神を恐れる思いは、めぐみの力が働いてでてくるものです。救いの第一歩はまず、めぐみの力が及び、神を恐れるところから始まります。
2. 自分の罪を認める。
犯罪人の一人が「おれたちは、自分のしたことの報いをうけているのだから当たり前だ。」(41)ともう一人の犯罪人をたしなめたのは、清いイエス様の側で、自分の罪の様が分かってきたからに他なりません。めぐみの力は、この様に人の心を変えてゆき、「私は、本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ロマ7:24)と罪を認め悲しむ者とします。
3. イエス・キリストを救い主として認める。
その犯罪人は、「この方は、悪いことは何もしていない。」(41)とキリストを義なる方と認めました。続く42節で、キリストに向かって、「イエス様」と名前で呼びかけていますが、ギリシャ語読みの「イエス」はヘブル語では「ヨシュア」で、「主は救い」という意味です。この犯罪人は、キリストが旧約聖書で預言されたメシアであることを認めたのです。
4. 信じて、イエス様にすがる。
 エリコの入り口に座っていた盲人は、イエス様がお通りだと聞いて、「ダビデの子、イエスよ、私を憐れんでください」(ルカ18:35-43)と、叫びだしました。イエス様の隣で十字架刑を受けていた犯罪人もまた、イエス様が救い主であることに気づき、信じて、「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」(42)と死の極みでキリストにすがりついたのです。
5. み言葉の確信を得る。
 キリストは「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(43)と御言葉で救いを保証されました。神のめぐみのみ業にはみ言葉の確証が伴います。契約書はことばで契約の確かなことを保証します。聖書は神様と人との契約書です。私たちは、主イエスの十字架による無条件の愛と赦しの契約を頂いている者たちなのです。御言葉(聖書)を信じることによりそれは現実に生きたものとされます。
 
イエス・キリストの十字架の両脇にいた犯罪人は、主を仰ぎ見ることができる同等の立場条件で、1人は救いに入れられ、1人は主をののしりながらそのまま永遠の死を迎えました(ロマ6:23)。一人一人にその選択が迫られています。

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