4月3日 礼拝メッセージ

「主を知ることを求めよう」

聖書:ホセア書6章1-3節

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

牧師館解体が終了し、2022年がスタートしました。CSも今日から礼拝堂で礼拝が再開され、進級式も行われました。コロナ感染は、まだまだ油断を赦しませんが、私たちはコロナに注意しながらも、神様から目を離さないでいましょう。2022年度は、2021年に勝って、更に深く主を知る年とさせていただきしょう。
1.背信のイスラエル
 言葉を正しく理解する為には、誰が、いつ、どのような人に語った言葉であるかを知らなければなりません。預言者ホセアのことばを正しく理解する為には、彼が語りかけたイスラエルの国が、どのような状況であったかを知る必要がありあます。ホセアは、イスラエルの国が南ユダと北イスラエルに分断された後の、ヤロブアム王2世の時代の預言者でした。その頃の国の有様を聖書注解(KGK版)は次のように記しています。
 「北王国の最後の十年間というものは、あるいはアッスリアにこびを売り、あるいはエジプトにわいろを使おうとしたりして、愚にもつかない政策の変転に明け暮れた、この国の為政者たちは、自分たちの神を信じないで、政策によって国を救おうとした。…(彼らの神にささげる礼拝は)残っていたのは主の名のみで、儀式はすべて、腐敗したバアル礼拝の流儀に従っていた。礼拝そのものが醜悪な、不道徳な行動と密接な関係を持っていた…。」
 このような中で、神様は、ホセアの家庭生活の悲劇と言う事実によるたとえをもって、背徳的なイスラエルと神様との関係を描き出し、深くイスラエルの国を思う、神様の愛の真実さを知らせようとされたのでした。
2.神の思い
預言者ホセアは、背信のイスラエルに「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。」(6:1)と、放蕩息子の帰還を待つ父親のような神様の思いを語りかけます。
けれど、神に立てられた預言者の言葉に人々が耳を傾けるかと言えば、必ずしもそうではありません。逆に、預言者エレミヤは、エルサレムが陥落するとの神のことばをそのまま語ったところ、泥の穴に投げ込まれ、宮廷預言者だったイザヤもまた、のこぎりでひき殺されたという伝説が残っているほどです(へブル11:37)。神の御旨を知らせる奉仕者は、神の痛みもまた負うことになります。
預言者ホセアは、不貞の妻と知っていて、ゴメル(1:2)を妻に迎えます。それは、イスラエルが唯一の神様を離れて、偶像を慕ったという姿を引き写し、神様は、神に背くイスラエルをも決して捨てられないで、いかに真実に愛しているかを知らせようとしたからでした。彼は不貞の妻ゴメルとの家庭生活の中で「引き裂かれ」また、「癒され」「打たれ」「包まれる」、こうした体験を通して、背信のイスラエルに対する深い神の愛を体験してゆきます。そして、それを語ったのです。私たちもまた、引き裂かれ打たれる経験をします。けれど、その痛みが深ければ深いほど自分の弱さもまた知らされて、神の愛の広さ豊かさを知る者とされます。神の用いられる器はそのようにして造られてゆきます。そうして、真実に神のみ旨を取り次ぐ者とされてゆきます。
3.回復の勧め
ホセアは、主に返ってゆくならば、神はただちに回復のめぐみに入れてくださる(2節)と、イスラエルを励ましました。私たちもまた日々起こって来る様々な出来事の中で、いつでも主のもとに駆け込み、また、立ち返り、「御前に生きる」(2)者とされたいものです。
「主を知ろう。主を知ることを切に追い求めよう」(3)ここに回復への第一歩があります。放蕩息子はどん底で、背を向けていた父の方に方向展開したところから回復が始まりました。私たちもまた、主を知ることを追い求める一歩を踏み出す時、自然に朝が来るように「主は暁のように確かに現れ」(3)て下さり、イスラエルに毎年訪れる、冬の雨(12-2月)と春の雨(3-4月)の雨季のように、主が臨むことは確かなことであるとホセアはイスラエルに語りかけます。
主イエスもまた、人類の罪の嗣業からの回復の為に命をかけてメッセージを届けられました。けれど、私たち人類はそのメッセージをどこまで真実に受け止めていたことでしょうか。「光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」(ヨハネ3:19,20)と主イエスは言われました。残念なことに、ホセアの預言後、イスラエルはBC722にアッシリアの侵攻によって首都サマリアが陥落し、北イスラエル国は壊滅しています。

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