福音のはじまり 「バプテスマのヨハネ」
-マルコの福音書に学ぶ- ➀
聖書:マルコの福音書1章1-8節
メッセンジャー:高江洲伸子牧師
福音とは
福音という言葉は、元々は新しい王が即位したことの知らせや、死者によってもたらされた、戦いの勝利の知らせという意味があった。聖書はイエスの御生涯とその教え全体を、福音とよんでいる。それは、私たちを罪と死の力から解放して、神の御支配のもとに生かす為に、イエス・キリストがこの世においでになったということこそ、私たち人間にとって本当に良い知らせだったからだ。
旧約聖書に予言されていたバプテスマのヨハネ
1,2節 イザヤはヨハネが誕生するおよそ700年程前の預言者。彼が書いたイザヤ書40:3に、“荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために。大路をまっすぐにせよ。…』”と、バプテスマのヨハネの存在は預言されていた。
ヨハネの人となり
3,4節 荒野で、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、ヨルダン川で洗礼を授け、5節 らくだの毛の衣を着、腰の革の帯を締め、いなごと野蜜を食べて生活していた。
祭司の家に生まれたヨハネは、まっすぐに主からの使命の道を歩み、「多くの人々から信頼と尊敬とを受けていた、評判の良いすぐれた指導者だった。しかし彼は決して自分がなにかえらい者のように思いあがることなく、あくまで後からおいでになるイエスを人々に紹介する案内役の立場をわきまえて、謙虚に、その役目を果たそうとしていた。」(斎藤正彦著「マルコ福音書に学ぶ」から) まさに、ヨハネはメシア到来を荒野で叫ぶ声だった。
ヨハネが伝えたことは、
7,8節 「やがて自分よりも力ある方が来られる」「その方は、ヨハネがかがんで履き物のひもを解く資格もないほどの方である」「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、その方は聖霊によってバプテスマをお授けになる」と、ヨハネの次に来られる待望のメシアを伝えていた。
バプテスマのヨハネ<聖書辞典/新教出版社篇>
キリストの先駆者 祭司ザカリアと妻エリサベツとの間に誕生。イエスとは親戚関係 六か月早く誕生(ルカ1,2章) 30歳の頃ユダヤの荒野、ヨルダン川畔で宣教活動を開始 その内容は、メシア王国到来と悔い改めによる備え 悔い改めのしるしとしてのヨルダン川でのバプテスマ(マタ3:15,マコ1:9,ルカ3:21)旧約最後の預言者ともされ、イエスにより賞賛(マタ11:11.13).ヨハネの最後は領主ヘロデ・アンテパスの不道徳な結婚を責めた為、獄中で斬首された(マコ6:17-29,マタ14:3-12 28年頃)。ヨハネはイエスに洗礼を授けていた頃、イエスは来たるべきメシアであると見ていた(マタ3:3:17-17,マコ1:9-11,ルカ3:21,22,ヨハネ1:36)。ヨハネは獄中からイエスに弟子を遣わして、そのメッセージについて尋ねさせている(マタ11:2-,ルカ7:18-)。 ヨハネは当時荒野で共同生活を営み、律法に忠実に従っていたエッセネ派の影響をうけたとも言われている。
※エッセネ派 ユダヤ教の一宗派。共産、独身、採食、安息日の厳守を行っていた禁欲的集団で、律法を尊重し、律法の研究に熱心であった。(クムラン教団をエッセネ派と同一視する学者も多い。)動物犠牲に反対したため神殿に入ることは禁じられた。
真の主の預言者バプテスマのヨハネ
➀ヨハネは、人々が「あなたはどなたですか」と尋ねられた時、「私はキリストではありません」「荒野で叫ぶ者の声です」と、自分の立場をはっきりと表名した。(ヨハネ1:19-28)
②ヨハネは自分の弟子たちに「見よ、神の子羊」とキリストを指し示し、側にいた二人の弟子がヨハネのその言葉を聞いて、イエスについて行くのを止めなかった。(ヨハネ1:35-37)一人はアンデレ(1:40)もう一人はこの記事を書いたヨハネだろうと言われている。
③ヨハネはヘロデの獄中から死を目前にして、「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:3)と弟子に言い送っている。「見よ、神の子羊」とまでキリストを差し示していたが、最後に確かめたかったのだろうか。そのヨハネをキリストは、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。」(ヨハネ11:11)と賞賛している。