1月1日 礼拝メッセージ(元旦礼拝)

「誠実に、へりくだり、神と共に歩む者に」

聖書:ミカ書6章8節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

神が私たちに求めておられることは何でしょう。
それは、「ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むこと」であると、はっきりとみ言葉は示しています。
ここでの「公正を行うこと」と「誠実を愛すること」は日常生活の中で人との間において、他者に対してとる姿勢ですが、続いて書かれている「へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」については、人が神に対する姿勢です。けれども、「公正を行い、誠実を愛する」ことと、「へりくだって神と共に歩む」は一つに繋がっていて、逆から読めば、「へりくだって神と共に歩む」者は、「公正を行い、誠実を愛する」ことができる者であると言えます。

「へりくだって、あなたの神とともに歩む」と言うことについて、
「謙遜」について日本国語大辞典の中に、「キリスト教で、おそれをいだいて、神のあわれみを請うこと」書かれていました。「へりくだって、神とともに歩む」者は、「神をおそれる」とも言えます。ここでのおそれは、恐怖のおそれではなく、「畏敬の念を抱く畏れ」であることは言うまでもありません。

イスラエルの初代の王になったソウル王は、王として選ばれた時は、荷物の間に隠れるほど気持ちも小さく、自分が取るに足らない者である事を知っていました。ところが、王としての働きが始まると、(Ⅰサムエル10:9)祭司サムエルがするべき「全焼のささげ物と交わりのいけにえ」を自分の手で行ってしまいます。サムエルが遅れて来たことと、状況的に不利になる事をくい止めようとしてでの事ではありますが、主のみ言葉通りに事を行わないソウルにサムエルは、「見よ、聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪、あなたが主のことばを退けられたので、主もあなたを王位から退けた。」(Ⅰサムエル15:22,23)と彼をきつく戒め、二代目ダビデに王権は移っていきました。
 サウルだけでなく、旧約聖書の中には、初めは信仰深く「高きところ」は取り除いてゆくものの、用いられるにつれて、心が高ぶり退けられてゆく王たちが沢山登場致します。
ミカが預言していた時代も、政情定まらず、イスラエルの国は非常に揺らいでいました。ミカは3章で次の様に言い放っています。「聞け、ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。あなたがたは善を憎んで悪を愛し、・・・」(1~)。「公正を行う」はずの筆頭為政者自ら「善を憎んで悪を愛し」、弱い人たちは虐げられていたのです。
そのような中で、ミカは大胆に主が求めらていること、「それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」と、ごく普通のことを言ったに過ぎないことに、心と目を止めたいと思います。
私たちが今生かされている時代も、非常に微妙な時代であると言えます。いつ何があってもおかしくない時代とも言えます。厳密には、今の時代もまた、力(財力)のある人たちと力(財力)のない人たちの状態は、ミカの時代と変わらない面がないとも言えません。その当時もまた、力のない労働者は不当に扱われ、(3:10). 法廷も宗教もすべてにお金がからんでいました。(3:11)。
その様な中で、神は今も昔も神の民が、「公正を行い。誠実を愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むこと」を願っておられるのです。

追記ですが、「へりくだって」と、訳されている言語は、「心して」とも訳す事ができ、「思慮深く」「熟慮して」とも訳せる言葉です。また、「用心深く」「注意深く」とも訳せるので、神と共に歩むことにおいて、私たちは、非常な賢明さが求められていることがわかります。

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