「主をほめたたえよ」
聖書:詩篇103篇1–5節
メッセンジャー:高江洲伸子牧師
ダビデの詩。主をほめたたえる思いは神の恵みを知り、体験する時に内か
ら出てくる。旧約聖書の出来事は、背景に、神がイスラエルと結んだ契約である律法があるが、私たちには、イエス・キリストの十字架による罪の赦しという新契約の中に生かされている。
- 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名をほめたたえよ。
ダビデは自分の内に、主をほめたたえよ、と言い聞かせる。ここでは、「たましい」は「心の感情や意志」を指している。ダビデは自分の心の感情や意志をもって、主をほめたたえるよう自らに働きかけている。「主」のヘブル語は「ヤハウェ」。契約の神をさす。「聖なる御名」は神を形容した別名。
2.わがたましいよ 主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れる。
「主が良くしてくださったこと」とは「利益」の事。「忘れるな」とは、物忘れをしないという意味ではなく、心が高慢になり、神から与えられたものを当然の様に考える心の状態を戒めている。Ⅱ歴代誌32:25
3.主は あなたのすべての咎を赦し あなたのすべての病を癒し
3節からは主が良くしてくださったことの具体例が記されている。「すべての病を癒し」は、一般の病でなく、罪のゆえに“主が起こされた”特別なさばきの病を指している。<申命記29:21-22>。イスラエルの罪を赦される神が、特別な裁きの「病」を取り除いてくださる、ということ。病気がすべて神の裁きの表れではない。パウロは胃が弱く、病気になりやすいテモテに少量のぶどう酒を飲むことを教えている。義人でも病気になるのは避けることができない。病気になったからと言って、いつも罪の悔い改めをするというのでなく、病気になった時に必要なのは癒しと共に、適切な治療を受けられるように祈り求めること。
4.あなたのいのちを穴から贖われる。
主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
「穴」は「死者が宿る場所」で地獄ではない。死んだら義人も悪人も宿る場所と考えられていた。貧しい生活を意味するようなニュアンスもある。申命記4:40によれば、イスラエルの民には、律法を守ることによって、長寿が与えられ、敵からも守られ、勝利するなどとの様々な守りが約束されていた。
さらに、主は、「めぐみとあわれみの冠をかぶらせ」てくださる。「恵み」はヘブル語で「へセド」。へセドは、神が契約に対して誠実に、神の愛を示す専門用語。ただわけもなく一方的に神が恩恵をくださることを指しているのではなく、契約関係が存在することが前提にある。人間が契約の約束を放棄して罪を犯した時も、神の変わらない愛と誠実さを伝える言葉でもある。あわれみとは、神の謙虚さ、近さ、忍耐深さを思い起こさせる言葉。「冠」は死から贖うだけでなく、尊い者として扱い、愛と優しさと赦しが与えられるとダビデは言っている。
5.あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。
あなたの若さは 鷲のように新しくなる。
「あなたのいのちを良いもので満たしてくださるので、あなたの若さは取り戻され、鷲のようになった」(直訳)。神との契約の中にある者が、契約である律法に従う時、主は彼らの人生を良いもので満たされるだけでなく、質を豊かにし、彼らの力を回復させる。
今、私たちには、イエス・キリストによる新しい契約が与えられている。神の選びの民イスラエルが、契約である律法を通して得られた祝福と利益を、キリストと一つに結ばれることによって得ることができる者とされていると共に、キリストに繋がることによって、多くの霊的祝福を得ることが約束されている。
「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか」と、民数記23:19には書かれている。大切なことは、神は一度約束されたことは必ず神の名に誓って守ってくださるということ。そのため、私たちは聖書の言葉を自分の人生を豊かにする宝箱のように探り、神が新約の教会に与えられている約束を見出し、それに信頼することによって、キリストに属する利益を日々体験しつつ歩みたいものです。