11月14日 礼拝メッセージ

「5つのパンと2匹のさかな」

聖書:ヨハネの福音書6章5-15節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

主イエスは、マルコ10:13-16で、弟子たちが、子どもを連れて来た人達を𠮟りつけている様子をご覧になって、「憤って」言われました。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔をしてはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」と、そして、子どもたちを抱いて祝福されたのです。
今日、私たちは、「幼児祝福式」を行おうとしています。神様が子どもたちを私たちの教会にお委ねくださったことを感謝し、ご家族と共に、子どもたち一人一人の成長を心から祝福させて頂きたいと思います。
  
奇跡は起こった
「5つのパンと2匹の魚」の記事では、小さな子どもが大切な神様の御用に用いられています。
過ぎ越しの祭りが近づいていた頃のことです。大勢の群衆がイエス様についてきていました。イエス様は側にいたピリポに、「どこからパンを飼って来て、この人たち食べさせようか」(5)と言われました。その時イエス様は、ピりポが何と答えられるか、その返事に期待して耳を傾けておられましたが、ピリポは、「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」(7)と答えました。それは、今ここで、これだけの群衆に食事を出すのは無理だと思うという内容の返事です。その時、そこにいた、もう一人の弟子のアンデレが、「ここに、大麦のパン5つと、魚2匹をもっている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう」(9)と、絶望感を込めて言いましたが、イエス様は失望する様子もなく、人々に座るように仰られると、その子どもの持ってきた「パンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。」(11)のでした。
すると、どうでしょう、少年のもっていた5つのパンと2匹の魚は、分けても、分けても、一向に減ることなく、人々が欲しいだけ食べ、そこにいた何千人という人たち全員が十分に食べ終わり、余ったパン切れを集めて籠に入れる
と、「12のかごがいっぱいになった」(13)のです。

小さく弱いものの上に現わされるキリストの力
この時、少年が手にしていた「大麦のパン」は、主に貧しい人たちがよく食べていたパンでした。決して、豪華な立派なパンだったと言うわけではありません。けれども、神様は決して、私たちの目に小さくまた弱々しく見える事柄を軽く見てはいません。むしろ、キリストの力は弱さの中でこそ力強く働かれるのです。コリントの信徒への手紙二12章9節で、復活の主イエスに出会った使徒パウロは、《「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう》と言っています。
祝福されたささげもの
また、5つのパンと2匹の魚は少年の手にある内はいつまでたっても5つのパンと2匹の魚でしかありませんでしたが、それが、ひとたびイエス様の手に握られると、大人の男の人だけでも5千人、その家族を入れると、1万人近い人たちが十分食べて、余りがでるほどになりました。たとえ私たちの主へのおささげものが、貧しく小さなものであっても、ひと度主がそれを受け入れられ、御手に握られると、そこから奇跡的なことが始まることをこの記事は教えています。小さなおささげものを決して軽んじないようにしたいものです。

さらに、少年が手にしていた5つのパンと2匹の魚は、子ども一人が食べるには、少し量が多すぎる様にも思えますから、もしかして、彼の両親や家族がイエス様と弟子たちに届けたものだったかもしれませんね。子どもが育つ背景には、両親始め周りの大人や家族がいます。少年は、大人の言うままにパンと魚を手にして、お弟子たちに届けるためにそこにいたにすぎなかったかもしれません。けれど、このような驚くべき出来事を目撃した子どもがどのように将来育っていくかは、想像に難くありません。主の教会で育つ子どもたちを、大人が温かい眼差しで見つめる、そのような教会でありますように!

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